そうなんだ その6
江戸初期にはじまった雛祭も、初めのうちは座敷の一隅にありあわせのもので低い段を設け、それに雛屏風を立て紙雛二・三対をたてかけます。
草餅や白酒の供物をするという簡素なやり方であったのです。
やがて京都、大阪、江戸に雛市が立つほどになると、座った姿のきれ製の美しい内裏雛があらわれ、これが中心を占め紙雛は添え物となりました。
内裏雛も時代に応じて容姿も変化したが、今日よりもはるかに大型のものが飾られました。
遺品として、古いものに寛永雛、享保雛、次郎左衛門雛、有職雛、古今雛など美術的に優れたものが作られ、明治以後今日の雛は、その中でも写実的な古今雛の系統をひいています。
また、丸顔で引き目かぎ鼻の、古風な顔立ちの次郎左衛門雛は今日のきめこみ雛に、その風をのこしています。
江戸時代も半ばになると、雛飾りの様式もようやく整い、内裏雛を中心に官女、随身、衛士、五人囎子などのほかに、女乗物とか行器、たんす長持などと、上流で嫁入りのときに持参する諸道具の模型も雛段に並べることになったのです。